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角田郡山遺跡(古代の郡衙跡)
概要
かくだこおりやまいせき(こだいのぐんがあと)
1979年までの3度にわたる発掘調査の結果、河原石を敷き詰めた根固め石群が発見された。
根固め石とは建物の礎石の下に敷いて地盤沈下を防ぐための敷石のことで、東西南北に4列ずつ規則的に配列されていた。礎石の一部は住吉神社や東禅寺、民家などの庭石として流用されている。
3間4方の建物跡で、布目瓦や土器などの出土遺物から時期は多賀城創建(神亀元年=724年)以前、7世紀末から8世紀初頭にさかのぼる可能性が強く、伊具郡衙(役所)跡かそれに付随する寺院跡と考えられている。
遺跡の範囲はほぼ400m四方で、北方に郡司(役人)たちの住居跡と思われる品濃遺跡がある。
郡山遺跡からは白鳳様式の複弁蓮華文軒丸瓦・素弁蓮華文軒丸瓦・連菱文軒平瓦の外、布目の平瓦や丸瓦・土師器・須恵器などが出土している。
関連する生産遺跡としては、枝野、藤尾地区の今泉・八重田・山中・桜井・嶺の瓦窯跡や須恵器を焼いた川前窯跡、山中製鉄遺跡がある。
住所
宮城県角田市枝野字郡山/字郡/字畑中/字上沼尻
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電話
0224-63-2221(角田市教育委員会生涯学習課)