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角田城跡
概要
かくだじょうあと
臥牛舘あるいは金鶏館とも呼ばれた仙台藩の要害で、白石城、亘理要害と並んで南からの敵に対する防衛の拠点であった。
永禄年間、伊達市の庶流である田手氏が、天正19年(1591)には伊達成実が居城した。
慶長3年(1598年)伊達家御一門石川照光が1万石(のち加増され最終的には2万1380石)を与えられた志田郡松山より移封、以後明治維新に到るまで石川氏の居城となった。
城は背後に山と谷地、沼を備えた後堅固の平山城で、総廻り567間(約1020m)ある。
周囲には堀と土手が廻らされ大手門、蔵兵具庫。
馬屋、南町に通ずる川中島と呼ばれる裏門などがあった。
現在、中心部は校地となり、堀は埋めたてられて宅地化された。
城の表門である「臥牛門」は長泉寺に移築されている。
住所
角田市角田字牛舘1(角田高等学校・中学校敷地内)
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電話
0224-63-2221(角田市教育委員会生涯学習課)
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