本文
高山上水翁の碑
概要
たかやまじょうすいおうのひ
高山善ェ門は文久3年(1863年)素封家高山三七郎の嫡男として角田に生まれた。
町会議員や県会議員などの要職にあったが、1904年4月、町長星見橘治ら名望家とともに「角田町上水期成同盟会」を結成し、大沼干拓と角田上水の大土木事業を成し遂げ、高山氏はこの功労により、町議会において「上水の翁」の尊号を贈られた。
住所
角田市角田字田袋73-1 江尻排水ポンプ記念館前
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>
電話
0224-63-2221(角田市教育委員会生涯学習課)
Fax
URL
詳細情報
当時は水害などによる凶作が相次ぎ、大沼干拓と上水工事は旧藩時代からの念願で、凶作救済事業が目的であった。北郷、桜、角田、舘矢間(丸森町)などの水田約540haの灌漑用水を阿武隈川に求め、舘矢間から導水して町の中心部を貫流し尾袋川に合流、江尻閘門より阿武隈川に注水させるというもので、約1年をかけ1907年に完成した。
このことによって大沼等80haの沼地は干拓され、美田と化すことになったのである。
銅像は彫刻家佐藤忠良氏によるものである。
角田駅より車で3分、徒歩10分