本文
大町恕軒の碑
概要
おおまちじょけんのひ
大町恕軒は寛永12年(1635年)藤田村に生まれ、慶安元年(1648年) 14歳で伊達家に仕え、大番士(平士=仙台城の警護、治安維持、藩政執務に当たる)をつとめ功績をあげた。しかし、68歳で剃髪して恕軒と号し、正徳2年(1712年)78歳で天寿を全うするまでの行歴を碑文は仔細に述べている。碑文は47行、2200字余りの長文で、撰者は遊佐好生、書は蜂屋可敬でともに藩の儒者である。
住所
宮城県角田市藤田寺岡47 喜松院墓地内
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電話
0224-63-2221(角田市教育委員会生涯学習課)
Fax
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詳細情報
碑は高さ4m。
石材は近くの明通峠にあったとされる「亀石」と呼ばれた巨石を半分に割って建てたと言い伝えられている。両脇にある石碑も亀石から作られたとされる。2200字余りにもなる碑文は他に例がなく、碑身を台石にはめ込む形の設計とその優れた施工技術、大きな花崗岩を使用した数少ない石碑として、市指定重要文化財に指定されている。●角田駅から車で17分