本文
和田家資料「内留」
概要
わだけしりょう うちどめ
内留全巻
内留巻四
伊達家一門総座上(筆頭)の家格を有した角田邑主石川氏の重臣、和田家に伝来した和田家資料「内留」は、奥年寄和田縫殿右衛門が記した長期にわたる日々の記録。これまで厚いベールに包まれてきた角田城(要害)内の、奥向きの様子を伺い知ることのできる貴重な資料であり、弘化三年~万延二年までを角田市郷土資料館が収蔵している。
解読が進むにつれて少しずつお城の様子が分かるようになり、2010 (平成22) 年度から角田市教育委員会が、「内留」を調査・解読しまとめた「角田市文化財調査報告書」(全8巻)を発刊。
住所
角田市角田字町17(角田市郷土資料館)
電話
0224-62-2527
0224-63-0131
(角田市教育委員会 ※「角田市文化財調査報告書」発刊先)
Fax
0224-62-2527
URL
詳細情報
和田家とは……
和田家は登米郡米谷城主柴田氏の重臣であり、柴田家の御家老職を務めた家柄で、当初大和田を名乗っていた。柴田宗義公の御女尾山様が伊達政宗公の側室となる際に、大和田家2代目備後実清は、尾山様の附人(お附きの侍)を務めた。そして尾山様が、娘の牟宇姫の嫁ぎ先・角田に移った際にも同行。途中大和田の姓を略され和田姓を名乗るも、尾山様亡き後も石川家に仕えた。
「内留」と筆者和田縫殿右衛門(わだぬいうえもん)
「内留」は文字通り内輪の記録であり、和田家8代和田庸貞、通称縫殿右衛門が奥年寄兼奥御用人の役職にあり、その仕事上の事柄を日記風に一つ書きによって長期にわたり記録したものである。欠落部分もあるが、弘化3年頃から約15年分が残されている。
殿様の私生活の場であるのが、「奥向き」。縫殿右衛門はそれらを統括する奥年寄という役職から、奥様はじめ、お子様方や側室方のお世話をする奥御用人でもあった。そのため日々の出来事について、誰が何を担当し、どのように行ったかなどが実に詳しく記録されている。内容は石川家奥向きの年中行事、とりわけ石川家の御参詣先(角田市内外)や、文通の御相手、奥女中の待遇などにも及ぶという。
角田市文化財調査報告書
全8巻にわたり、和田家資料「内留」を掲載。本文中は、原文の写真と読み下し文を上下に対照できるようにレイアウトされ、さらに脚注がついているので見やすく、分かりやすい報告書となっている。